こんにちはkyokotobaです
今回は纏向遺跡の第2弾です
第1弾は巻向駅から纏向東田大塚古墳周辺の古墳群と辻地区の大型建物跡と垂仁天皇纒向珠城宮跡までを歩いた報告でした
卑弥呼の宮殿跡ではないかと話題の辻地区の大型建物跡がメインでした
現在の感覚からするとそれほど大型の建物とは見えないのですが3世紀初めの弥生時代末期の建物と考えれば宮殿として十分立派な建物だったと思います
卑弥呼が住んだ宮殿とは想像の域をでませんが大きな権力が存在したことはわかりました
第2弾の今回はいよいよ箸墓(はしはか)古墳に向かいます

箸墓古墳はその大きさから卑弥呼の墳墓ではないかとされています
また箸墓古墳は日本最初の前方後円墳としても有名で箸墓古墳から古墳時代は始まったというのが定説になっています
ところが残念なことに宮内庁は第7代・孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定しているので発掘調査ができません
そういった理由から考古学上で埋葬者が判明することは当分なさそうです
それでも注目の古墳なのでやっぱり自分の目で見たいですね
その箸墓古墳をメインとして直ぐ近くのホケノ山古墳をはじめとする古墳群も巡ってきました

この辺りはインバウンドの旅行者も日本人の旅行者もほとんどいないので静かなものです
半日あれば纏向遺跡をほぼ回れるので思い立ったら出かけたらどうでしょうか
邪馬台国とヤマト王権に興味があるシニアにおすすめです
纏向遺跡②ウォーキングコース
纏向遺跡①ではJR巻向駅を出発して纏向古墳群から纏向遺跡辻地区建物群へと歩き、垂仁天皇纒向珠城宮跡と珠城山古墳群までを紹介しました
今回は後半のウォーキングコースとなります
箸墓古墳周辺から桜井市立埋蔵文化財センターを見学してJR三輪駅までのコースです
・珠城山古墳群からホケノ山古墳群へ

・巻野内石塚古墳からJR三輪駅へ

今回は箸墓古墳からホケノ山古墳に行ってグルっと回って箸墓古墳に戻るコースになりましたが、効率よく歩くなら最初に巻野内石塚古墳を見てホケノ山古墳、箸墓古墳と回り、最後に桜井市立埋蔵文化財センターを訪れるコースが良いかもしれません
纏向遺跡①のブログは下記のリンクからお入りください
シニアが行きたい卑弥呼の宮殿跡?纏向(まきむく)遺跡①巻向駅から垂仁天皇纒向珠城宮跡へ | kyokotoba blog
珠城山古墳群から箸墓古墳へ
珠城山古墳群第3号墳に登ったあとに箸墓古墳に向かいます
国道169号線まで戻ります
「辻北」交差点を左折して南下します

JR桜井線が交わるところは道路が高架になっています

後で箸墓古墳を見た後でこの場所に出てきます
左の小道を進むと巻野内石塚古墳からホケノ山古墳行くことができます

高架を渡り終えると「箸中」交差点です

道路を渡ると箸墓古墳の周濠の一部を池とした箸中大池が目の前です
この景観は素晴らしいです

奈良観光案内の写真によく使用される景色ですね
箸中大池
箸墓古墳の周濠部分の一部が「箸中大池」として、ため池百選の1つにも選ばれています
納得の景観です

本来箸墓古墳は発掘調査できないのですが、ため池部分なら良いだろうということで2000年(平成12年)に纒向遺跡109次発掘調査をしたところ周濠内から木製の輪鐙(馬具)が発見されました
卑弥呼の時代には馬はいなかったはずでは?
ただ乙巳の変の戦いが箸墓古墳周辺で起こっているのでその時の馬具の一部かも知れません
箸中大池の周りは土手が整備されていて歩くことができます

近くで見ると箸墓古墳は大きいです
箸墓古墳
卑弥呼のお墓ではないかと話題の古墳がこの箸墓古墳です
全長約278メートルで、前方部幅約130メートル・前方部高さ約16メートル、そして後円部径約150メートル・後円部高さ約30メートルです
日本にはおよそ16万基古墳があるがそのなかでも11番目に大きいとされています

それまで纏向型前方後円墳はありましたが、日本の前方後円墳で定型化した最初の前方後円墳が箸墓古墳なのです
つまり古墳時代は箸墓古墳から始まったとされている考古学的にも貴重な古墳といえます
なぜ卑弥呼の古墳ではないかと言われているのかというと纏向遺跡と合わせて考える必要があります
何回も言いますが纏向遺跡の年代と邪馬台国の年代が重なっているからなのです
辻地区の大型建物跡が卑弥呼の宮殿としたら箸墓古墳の大規模な前方後円墳は卑弥呼のお墓に違いないとなります
卑弥呼が亡くなったのは魏志倭人伝によると247年とされています
箸墓古墳は奈良県立橿原考古学研究所による炭素14年代測定法によると280年~300年頃(プラスマイナス10~20年)に築造されたとされています
また国立歴史民俗博物館調査チームによると240年~260年頃に築造されたと言われています
ギリギリ卑弥呼のお墓と言える築造年代ですね
もしくは卑弥呼の後継者の台与のお墓だと言う説もあります

ただ残念なことに箸墓古墳は宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定(じじょう)されています
国は日本書紀の記述から治定しているので現状は卑弥呼の墓とは違うという見解です
それに魏志倭人伝では卑弥呼のお墓は円墳だったと書かれているのに箸墓古墳は前方後円墳です
そんなことを考えながら箸中大池を歩いて前方後円墳の後円部を降ります

そこに宮内庁が治定している倭迹迹日百襲姫命の拝所があります
倭迹迹日百襲姫命 大市墓 拝所
箸墓古墳の名称は悲しい話からきています

日本書紀には崇神天皇10年9月に倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が陰部に箸が突き刺して自害したという説話が記されていることに由来しています
どういう事情なのかすごいシチュエーションですね
卑弥呼のお墓としたら日本書紀の逸話がまったく繋がりません
拝所で丁寧に参拝して次に行きます

前方後円墳をなぞるように道があるので東に歩いてホケノ山古墳に向かいます

のどかな日本の懐かしさを感じる道を歩きます

JR桜井線の踏切を超えます

そうすると小さな神社が左手に現れます
これが國津神社です
國津神社
国津神社の御祭神はアマテラスの御子神五柱とされます

天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穗日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまのくすびのみこと)の5神です
国津神社拝殿

山車庫

もちろん丁寧にお参りしました
神社を出てすぐに纏向川があります

川沿いに歩くとホケノ山古墳はもうすぐです
小さいですが駐車場もあります

ホケノ山古墳
ホケノ山古墳は3世紀中ごろに造られたものと考えられています
ホケノ山古墳が卑弥呼のお墓としても時代があっているのでおかしくないようです

全長80m後円部径35mの前方後円墳です
箸墓古墳より少し前に築造された纏向式前方後円墳とされています

不思議なことに3人が埋葬されています
一人目は築造時に墳丘に埋葬されました
二人目は3世紀末頃に埋葬されています
・二人目の木棺墓復元模型

場所は墳丘から離れています
三人目は6世紀末ころと考えられています
墳丘の横を掘って横穴式石室を造っています
3人も同じ古墳に埋葬するなんて不思議ですよね
ホケノ山古墳では中国製の鏡や鉄・青銅製の鏃、土器などが見つかっていて纏向の有力者の墓と考えられています
幅10から17mの周濠が確認されています


ホケノ山古墳の後円部の墳丘に登りました
西に箸墓古墳が見えます
そしてすぐ前に見えるこんもりしている森が堂ノ後古墳です

東を見ると三輪山が見えました

ホケノ山古墳も箸墓古墳と同様に需要な古墳です
築造年代も箸墓古墳と近いので埋葬者が誰なのか興味は尽きません
次はホケノ山古墳の横を通って北上します
・北口塚古墳
ホケノ山古墳の直ぐ北にあります

前方後円墳の可能性もありますが現状は円墳状になっているようです
正式な調査がされていないので実態が良くわかりません
田んぼの小道を北上します
見渡すと古墳のような小さな丘が点在しています
ほとんど未調査の古墳なので墳墓の形状や埋葬者の情報はありません
・小川塚西古墳

農道を北に向かって歩くと今度は左手に小さな丘が見えます
これが巻野内石塚古墳です

周りには遮るものが無いのですぐに分かります
巻野内石塚古墳
巻野内石塚古墳は内部調査はされていません
以前は6世紀ころの円墳と思われていましたが、その後全長60m後円部径40m前方部長20mの纏向型前方後円墳と推定されています

築造時期は3世紀以降とされています
古墳の案内板がありましたが墳丘の端に設置されているので説明文を見ようとすると墳丘から落ちそうになります
なんでこんな場所に説明板を建ったのでしょうか

巻野内石塚古墳から桜井市立埋蔵文化財センターに向かいます

先ほど箸墓古墳に行くときに通った国道169号線の高架部分に出てきました

高架を渡ると「日本一たい焼 奈良桜井店」があったのでお土産に買ってみました

あんこがたくさん入っていてとてもおいしかったです

箸中南交差点
箸中交差点を過ぎるとすぐに三輪山本 直販店の大きな建物があります

三輪山本の各種商品の売店やお食事処もあるようです
道の向かいは箸墓古墳です

とても大きく立派な建物なんですね
たくさんの人が車で訪れていました
今回は横を通るだけにしました
すぐに箸中南交差点に出ます

左に曲がると箸墓古墳・ホケノ山古墳へ続きます
直進するには道路が二つに分かれています
桜井市立埋蔵文化財センターには左の道路を進んでください
写真では真ん中の道です
有名な蕎麦屋でしょうかたくさんの人が並んでいました

更に進むと道路の右手に桜井市立埋蔵文化財センターが現れます
桜井市立埋蔵文化財センター
桜井市立埋蔵文化財センターは桜井市内の発掘調査で出土した遺物や研究成果の保管・展示を行っています

受付で入場料を払って見学しました


・営業情報
営業時間 : 9:00~16:30(入館は16:00まで)
休日: 毎週月曜日・火曜日(祝日の場合は開館) 祝日の翌日 年末年始(12月28日~1月4日)
料金 一般 200円
展示場はそんなに広くはありません

遺跡の出土遺物を中心に旧石器から奈良までを各時代ごとに展示しています



纒向遺跡出土の犬骨と生体模型


桜井市立埋蔵文化財センターを先に見学して基礎知識を学んで纏向遺跡を歩くのも良いと思いました
発掘された実物が展示されているので小さいながら充実した展示物でした
大神神社大鳥居
桜井市立埋蔵文化財センターからJR三輪駅には目の前に見える大神神社大鳥居を通って向かいます

今回は大神神社には行きませんがいつ見てもその大きさに圧倒されます

高さが32メートルもあります
昭和天皇の御在位60年を記念して昭和61年に建立されました
JR三輪駅
JR桜井線は一時間に1本程度と本数が少ないので利用には注意が必要です

WEBで検索すると近鉄電車八木駅ルートの方が早く帰れそうだったので今回はJR桜井駅経由で近鉄電車に乗り換えることにしました
JR畝傍駅までJRで行き、そこから近鉄電車八木西駅まで歩きます

八木西駅までは歩いて10分ほどなので乗り換える人は何人かいました

近鉄電車八木西駅から帰宅しました

纏向遺跡は邪馬台国?
素人のkyokotobaの考えを述べたいと思います
昨今、纏向遺跡の大型建物跡が卑弥呼の宮殿跡とか箸墓古墳が卑弥呼の墳墓だとかマスコミで紹介されることが多くなりました
少し落ち着いた方が良いと思います

『魏志』倭人伝によれば卑弥呼が亡くなったのは247年です
その時期と纏向遺跡の繁栄時期が重なっていることが纏向遺跡=邪馬台国を唱える根拠になっていると思います
ただ箸墓古墳は宮内庁に治定されているので発掘調査はできません
もし発掘調査して紀元238年に卑弥呼に対して魏より与えられた「親魏倭王」の金印が見つかれば決定的になるのですけど
もちろん箸墓古墳以外でも纏向遺跡周辺から金印が発見されれば邪馬台国で確定です
しかしそれはそれで謎は深まります

その時期はヤマト王権の第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇の年代にも当てはまるのです
日本書紀ではもっと古い年代の天皇なんですが最近の学説では実在していれば3世紀前半から4世紀前半と言われています
また彼らの王宮は日本書記では纏向周辺とされています

つまり邪馬台国とヤマト王権は同一の王朝となることになります
日本書紀には一言もそんな記述はありません
この辺をどう説明できるのでしょうか
とにかく今の段階では纏向遺跡が邪馬台国かどうかではなく纏向遺跡とヤマト王権とどう繋がっていたのかを先に調べるべきと思います
まとめ
纏向遺跡について2回に分けてご紹介しました
邪馬台国説の真偽はともかく自分の目と足で現地を見たかったのです
思いのほか開けた土地なのが意外でした
まったく防衛には不向きな場所なので纏向遺跡が栄えた時代の周辺地域は落ち着いた時代だったのだろうと感じました
まだ全国で見ると小さな国が群雄割拠していた時代と思うのですが少なくとも奈良盆地の中は平和だったのでしょうか
邪馬台国とヤマト王権との関係はどうなのか興味は尽きません
皆さんも是非、纏向遺跡に足を運んで自分なりの推理をしてください
学説が定まっていないので考えは自由です
邪馬台国とヤマト王権に興味があるシニアにおすすめです
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