こんにちはkyokotobaです
皆さんは継体天皇をご存じでしょうか
名前に継(つぐ)という字がついていることから想像できるのですが、それまでの天皇の系統が途切れて新たに天皇家を継いだ天皇なのです
そして存在が確実視され現在の皇室に繋がっていることが明らかな天皇なのです
経緯は後ほど説明するとして歴史上重要な天皇であることには間違いありません
その陵墓である今城塚古墳が高槻市にあるので今回は今城塚古墳と古墳に関係する史跡を巡って歩いてきました

題名に真の継体天皇陵と書いているのは宮内庁が別の古墳を継体天皇陵と治定しているからです
現在、今城塚古墳は公園として整備解放されています
宮内庁に治定されていたら公園なんてできません
多くの市民が公園で楽しんでいて少し感動しました
そんな公園と今城塚古墳に置かれていたハニワを造っていた工場跡も整備され公園になっているのでそちらも見てきました

いつものウォーキングと同様に約3時間のコースです
興味ある方は最後までお付き合いください
継体天皇に興味がある歴史好き古墳好きのシニアにおすすめです
ウォーキングコース
JR摂津富田駅から今城塚古墳・今城塚古代歴史館・新池ハニワ工場公園を見学して最後に太田茶臼山古墳を訪れたら摂津富田駅に帰るコースです

所要時間は約3時間です
平坦なコースなので普通のスニーカーで問題ありません
継体天皇
継体天皇をご存じない方に簡単に継体天皇について説明します
第26代天皇です
色々謎が多い天皇ですが実在が確かで子孫が現皇室に繋がっていることに異存がない天皇であることは間違いありません
簡単に経緯を説明します
506年に第25代・武烈天皇が崩御したのですが後継者がいませんでした
当時のヤマトの有力な豪族である大伴金村や物部麁鹿火などが相談の上、応神天皇の5世孫にあたり越前国(近江国とも)を治めていた男大迹王(おおどのおう)を推薦しました
何度か断ったのですが最終的に26代天皇として即位しました

ここが問題なのです
そもそも皇位を継ぐ立場ではなかったと言えます
応神天皇の5世孫といえばもう他人のようなものですから
そこで地方豪族が自ら皇位を奪取したとする説も出てきています
それまでの大王家と血縁関係があるのかないのか議論になっています
その正当性を演出するために即位後に雄略天皇の孫娘の手白香皇女を皇后に迎えました
そしてその子供が欽明天皇となるのです
そして欽明天皇の血筋は現皇室まで続いているのです
継体天皇が亡くなった年は531年です
お墓は宮内庁により太田茶臼山古墳に治定されていますが現在では今城塚古墳が真の継体天皇陵とするのが定説となっています
在位中も色々なことが国内・海外で起こったのですが継体天皇については別途記事を書いてみたいと思います
JR摂津富田駅
古墳ウォーキングはJR摂津富田駅から出発です
街中を抜けて歩いていくこともできますが交通量が多いので今回紹介する道順が安全で早いと思います
昔、阪急富田駅から乗り換えでJR摂津富田駅を通勤で利用していたことがあるのですが大きな駅になっていて驚きました

北口に出ます
横断歩道を渡り右に進みます

線路に沿って女瀬川(にょぜがわ)まで歩きます

女瀬川にかかる歩道に今城塚古墳への案内板がありました

あとは女瀬川に沿って歩くだけです

15分ほど歩くと今城塚古墳公園が右手に見えます

思っていた以上に大きくきれいな公園でした
散歩をされている方が多かったです

今城塚古墳
全長約190mの前方後円墳です
巨大すぎて写真で全景を撮ることが出来ませんでした

6世紀前半の造営とされています
継体天皇陵は近くの大田茶臼山が宮内庁から治定されているのですが真の継体天皇陵で間違いないとされています
自由に墳丘に上がることが出来る天皇陵として日本で唯一の古墳として貴重です
せっかくなので墳丘に登ってみました


後円部の頂上です
石室は昔の地震で墳丘が崩れたために残っていなかったとの事でした

現在は今城塚古墳公園として整備されています
内堀の半分は当時を再現して水が貯えられ、もう半分は埋め立てられて芝生の公園になっています


また内堀を囲む約1kmの堤は歩いて一周することができます
ウォーキングやランニングにもぴったりです
また、堤には埴輪祭祀場が再現されています

継体天皇の葬送儀礼を再現していると考えられており、約190点の形象埴輪が並ぶ姿は全国でも今城塚古墳だけです
訪れた日も学校の遠足や家族連れのピクニック、観光客などが広い公園で楽しんでいました天皇陵と思われる古墳が広く開放されて自由に過ごしているのを見て素晴らしい保存方法だなと思いました

継体天皇も子孫たちが平和で楽しんでいるのを見て喜んでいるのではないでしょうか
埴輪祭祀場
今城塚古墳には約6000本のハニワがあったと言われています
堀の堤には堀の全周に渡り円筒埴輪が置かれていました

円筒ハニワには船のようなマークが入っていて船を使った水運と関係していることを想像させます

今城塚古墳の発掘調査で発見されたのが日本最大と言われる埴輪祭祀場です

祭祀場の大きさは縦10m横65mで約190点の形象ハニワが埋められていました
現在は元々の埋められていた状態に復元展示されています
ハニワが置かれた理由ははっきりしていませんが、神々や祖先をまつる祭祀の様子や継体天皇の葬送儀礼の様子を再現したという説があります
埴輪祭祀場は4区画あります
継体天皇が亡くなった儀式を表現していると考えると
1区は葬送儀礼が行われた場所
屋根が斜めになった変わった形の館が遺体を安置して儀礼をおこなった場所と言われています

2区から3区は巫女による儀式の様子を復元


4区は儀礼を警護している様子を復元

馬は財力、水鳥は清らかな場所、武人は護衛
4区には自由に立ち入ることができます

結構大きいことに驚きました
1500年前の様子を想像するだけで古墳好きにはたまらない場所です
復元展示されていることは訪れた人が古代に興味が出るきっかけにもなると思うのでとても良い試みだと思います
今城塚古墳から直接行けるのが今城塚古代歴史観です
今回はいったん道路に出て向かいました
今城塚古代歴史館
2011年にオープンした古代体感ミュージアムです

展示物は今城塚古墳の発掘調査で出土した形象埴輪や3基の復元石棺をはじめとする展示品そして墳墓築造時のジオラマ模型や映像解説があります
入館料が無料なのがうれしいです

受付でパンフレットを頂いて「常設展示室」と「企画展示室」を見学しました

・入館情報
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜(祝日は開館)・祝日の翌平日
入館料:無料
墳墓築造時のジオラマ

3基の復元石棺

今城塚古墳には3基の石棺があったとされています
なぜそう推定されているのかというと3種類の石棺の石材が見つかったからです
継体天皇と息子の安閑天皇と宣化天皇の3人の石棺ではないかとも言われています
そう推測する理由は下記のようなことです
①二人とも実際には天皇に即位していなかった為
②即位していたが欽明天皇との2朝並立だった為
日本古代史の謎なんですが継体天皇にはいろいろな謎がありますね
形象埴輪

見どころ十分なミュージアムでした
今城塚古墳を訪れたら必ず歴史館も見てほしいです
そんな今城塚古代歴史館から新池ハニワ工場公園に向かいます
受付の方に地図を頂きました

歩いて25分とのことでした
道は分かりやすいのですが交通量が多いので注意が必要です
ハニワ工場公園の標識がある交差点で右折です

名神高速道路の下をくぐります

再びハニワ工場公園の案内標識があるので左折するともうすぐです

新池ハニワ工場公園(新池遺跡)
高槻市の上土室(かみはむろ)にあります
日本最大の埴輪工場があった新池埴輪製作遺跡を利用して公園として整備されました
今はマンション群が立つ丘に公園はあります

今城塚古墳のハニワを造っていた工場跡を公園整備したものです

「新池」と言うだけあって池の周囲の傾斜地にあります

丘陵の斜面を利用した窯が復元されて展示されています
近くに建っているマンションの屋根の形が窯の屋根と同じ形です
自治体の指示ではなく業者が景観を重視したデザインにしたそうです

公園の周辺にも復元されたハニワが展示されています

高台には工房跡や復元された工房が建っています

ハニワ工場館もあり発掘現場をそのまま展示していて当時のハニワ製作の様子を知ることができます
うれしいことに無料です

展示しているのは18号窯で最後の窯となります

発掘当時そのままに保存されています

ハニワ工場が造られたのは西暦450年ころです
最初は太田茶臼山古墳のハニワを焼いていたようです
その後摂津地域の古墳のハニワを造り続けていました
最盛期は18基の竈門でハニワを造っていました
丁度、今城塚古墳のハニワを焼いた530年ごろが最盛期だったようです
その後前方後円墳が築かれなくなった550年ころまで続きました
ハニワ工場公園と言われるだけあって公園として整備されていました


市民と古代が触れ合える公園の仕組みは良いですね
歴史好きの子供が増えるかもしれませんね
新池ハニワ工場公園から最後の訪問地太田茶臼山古墳に向かいます
ルートは簡単です
来た道をそのまままっすぐ南下して西国街道との交差点を右折します

藍野大学のキャンパスが見えてくるともうすぐです

大田茶臼山古墳(継体天皇陵)
古墳の全体を見るなら右に古墳の正面に行くならまっすぐ進みます

全長226mの大きさで全国21番目の規模の前方後円墳です

宮内庁により「三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)」として継体天皇の陵に治定されています


しかし造られた年代が古墳時代中期の5世紀中頃と推定されるために継体天皇の亡くなった年代と合わないことが分かっています
現在では今城塚古墳が真の継体天皇陵とすることが定説になっています
大変立派な古墳であることは間違いないですが埋葬者は分かっていません
摂津を治めていた大豪族か皇族が想定されています

古墳は外からしか見えないので写真を撮って終わりです
帰りはJR摂津富田駅まで約20分ほど歩きました
まとめ
今城塚古墳は「いましろ大王の杜」として今城塚古代歴史館とをあわせて市民公園になっています
きれいに古墳は整備されていて市民の憩いの場所となっていました
継体天皇陵と確実なのに宮内庁から治定をうけて無いために市民が自由に歩き回ることが出来る稀有な存在になっています
新池ハニワ工場公園とともに高槻市の人気スポットとして知られるようになりました
古墳を保存して守っていく手法として公園化は良い施策と思います
眠っている方々も子孫の平和な姿を見ることが出来て喜んでいると思いますよ
今回のウォーキングでは約3時間の行程でシニアにも丁度良い距離なのではないでしょうか
継体天皇に興味がある歴史好き古墳好きのシニアにおすすめです
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