こんにちはkyokotobaです
皆さんは大阪に国の特別史跡が二つしかないことをご存じですか
それは大阪城跡と百済寺跡の二つなのです
大阪城は有名ですが百済寺跡のことを知っている人はほとんどいないのではないでしょうか
今回はそんな百済寺跡を紹介したいと思います

そういうkyokotobaも最近まで知りませんでした
たまたまYouTubeで紹介している動画を見てこれは行かなくてはと思ったのでした
夏の暑い日でしたが枚方市にある百済寺跡に行ってきました
百済寺は大寺院ですが国が造った寺ではなく一氏族が独力で建てた寺院なのです
その一族は百済の王族の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)の一族でした
つまり百済王氏一族の氏寺として建立されたのです
すごい財力ですね
その経緯は後で説明しますが、今は史跡公園として整備されて自由に入ることが出来ます
場所は京阪電車交野線の宮之阪駅から歩いていける距離にあります

境内は地元の公園のように小学生や学生の遊び場になっていました
それだけ地元に親しまれているのでしょうね
在りし日の栄華を誇った当時に思いを寄せてゆっくり見学ができました
大阪府民でなくとも一度は行って見て欲しいですね
大阪の特別史跡と百済王一族の物語に興味があるシニアにおすすめです
百済王(くだらのこにきし)とは
百済寺を建てた百済王の一族について少し説明します
朝鮮半島の古代国家である百済の最後の王である義慈王の子の善光を始祖とする日本の氏族です
西暦660年に百済は新羅と中国の明との連合軍によって滅亡するのですが、その前に日本に国王の子供を日本に送っていました

百済が滅亡した後も日本で百済王の血統をつなぐことになりました
持統天皇より善光が百済王(くだらのこにきし)の氏姓を賜ったとされています
日本には百済と称する氏族は複数あったのですが百済王族の出身ということで彼らの精神的支柱とされた氏族でした
日本において色々な役職についていました
本拠地は当初は大阪摂津国(今の天王寺周辺)でしたが百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)の時代に大阪河内国(今の枚方市周辺)に移りました
国の重要な役職に就いたり天皇の外戚になったりと栄えた時期もありましたがだんだんと衰退していきました
百済寺とは
今回の主題の百済寺の説明をします

天平勝宝2年(750年)頃に百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)によって建立されたとされています
百済王敬福が陸奥国(むつのくに)今の宮城県や福島県あたりの長官だった頃に奈良の大仏建立のため陸奥国で発見された黄金を聖武天皇へ献上することによって陸奥守から河内守へ昇進を果たし摂津国から河内国交野の地に拠点を移しました
そして百済王敬福(くだらのこにきし きょうふく)はこの地で一族の氏寺として建立した寺が百済寺でした
一氏族である百済王敬福がこのような大寺院を建立したというのですから大きな財力を持っていた最上級クラスの一族であったことが想定されます
百済寺は長く百済王一族の氏寺として栄えましたが一族の衰退とともに寺も衰退していきました
1941年に国の史跡に指定され昭和27年(1952年)には特別史跡に指定されました

ただ指定はされましたが整備されなかったので荒れ果てた状態でした
その為に昭和41年に史跡公園として整備されることになったのです
百済寺復元図
百済寺は金堂とその背後の講堂、食堂を中央に、それらの東西に塔を配した伽藍様式をもちます
お寺の大きさは一辺140メートルほどの正方形で、築地(ついじ)という土の塀で囲われていました
それぞれ礎石が残っているのが特別史跡に指定された理由の一つでもあります
また中門、南門、東門、東院の跡もわかっています
現地にあった百済寺跡鳥瞰復元図

日本には同じような伽藍形式の寺院はなく新羅の感恩寺と同形式であることが指摘されています
現地を訪れた様子を説明していきますが復元図を参考に読んでいただくと当時の百済寺がより理解できると思います
アクセス
大阪府枚方市中宮西之町
・電車の場合
京阪電車交野線「宮之阪」駅下車徒歩約10分
京阪本線「枚方市駅」よりバス 「中宮」停留所下車1分
駅から近いので「宮之阪」駅から歩くことをおすすめします

・車の場合
百済寺跡に駐車場はあります
ただし駐車台数は限られているのでおすすめはしません
「宮之阪」駅から歩きます
京阪電車枚方市駅で交野線に乗り換えます
交野線には乗ったことがなかったのですが移動は簡単です
宮之阪駅は枚方市駅から一駅目です

改札を出てすぐ横の道路を北に向かいます

宮之阪駅北交差点を右に曲がります

坂道が続きます

駅から15分ほどで左手に百済王神社の石段が見えてきます

そのまま進めば百済寺跡なのですが石段を登り百済王神社に参拝することにしました
百済王神社(くだらおうじんじゃ)
百済寺が創建された時に同時に百済王氏の祖霊を祀る神社として創建されたとされます

後に時代が進むとともに神社は荒廃しましたが地元の人々が氏神様として再興しました

主祭神は百済國王・牛頭天王・ 進雄命(すさのうのみこと)とされています
現在の本殿は春日大社の本殿を移築したものです

百済王神社も百済寺も枚方の中宮という小高い丘に建っています

百済王神社の境内の横に百済寺跡が見えます

百済寺の真横なので百済寺と同時に建てられたというのも納得です
百済寺跡史跡公園
百済王神社から百済寺跡に直接はいることができるのですが一応現在の正式な入口から入ろうと思います
民家の前を通るのですが横は築地が復元されていました

東門跡が百済寺跡公園の入口になっています

東門跡の入り口を公園側から見た風景

東門跡の左右にも築地塀が復元されていました

この築地塀が140m四方の境内を囲っていたのですね
・「百済寺跡の松風」

東門を入るとすぐ右に松が植えられています
この松を1973年10月に枚方市が「百済寺跡の松風」として枚方八景の一つに選びました
・東南院


・堂塔院地区
中門の北に東西の塔、その北に金堂。中門から東西に延びた回廊は東西の塔を囲むように金堂にとり付いていました

回廊の配置がよく分かります

・中門

・南門


・東塔
基壇が復元されています
基壇に登ると境内が一望出来て建物の配置が一目です


・西塔
西塔は復元されてはいません
土盛りされた基壇跡が残されていました


・金堂
東塔と西塔の正面が金堂です
金堂から回廊が東塔と西塔を囲むように中門まで伸びていました


・講堂
金堂跡から講堂跡を見た景色
奥に食堂跡が見えます


・食堂


・北門


・西北院

・建物復元イメージ図のアクリル板
境内の2か所に建物復元イメージ図のアクリル板が建っていました
建物のイメージ図が描かれていて風景をバックに重ねて見ると当時の建物が建っているように見えます
東塔の建物のイメージ図

それほど境内は広くないので隅から隅まで見学しても30分もあれば十分でしょう
ただゆっくり当時の栄華を誇る様子を想像したいという方はベンチに腰掛けて納得するまで滞在してはどうでしょうか
まとめ
国の特別史跡は大阪府では大坂城跡と百済寺跡の2つしかないとても大切な場所です
それなのに百済寺跡の存在を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか
史跡公園としてきれいに整備されて市民の憩いの場になっているのですが残念です
寺院規模はそんなに大きくは無いので30分もあれば境内を見て回れると思います
滅亡した朝鮮半島国家の百済の王族の子孫が日本に来てその血統を繋ぎ、一族の氏寺を自力で建立したという物語は壮大なロマンを感じないわけにはいきません
建物はありませんが礎石も残っていて百済寺の過去の栄華を想像するのも楽しいと思いました
駅からも近いので気軽に歩いて行って欲しいです
大阪の特別史跡と百済王一族の物語に興味があるシニアにおすすめです
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