こんにちはkyokotobaです
今回は高松塚古墳の壁画修理作業室公開に行ってきました
高松塚古墳はその極彩色の古墳壁画で誰もが知っている古墳と思います
必ず学校で習いますね
その壁画を定期的に公開していることはご存じでしょうか
kyokotobaは2024年の秋の公開に行ってきました

ブログ記事に書くのが遅くなったのは高松塚古墳のすぐ近くにある八角墳の中尾山古墳のことも同時に書きたかったからです
中尾山古墳は天皇の陵墓の特徴と言われる八角墳なのです
現在では文武天皇の陵墓と間違いないとされています
高松塚古墳と中尾山古墳は谷を挟んで置かれています
あらかじめ知っておけば高松塚古墳を訪れた時に中尾山古墳にも行ってみようかとなりますね
どちらも歴史上重要な古墳なのです

昭和47年に高松塚古墳の壁画が発見された時の興奮とブームを覚えているシニアも多いと思います
本物の壁画を見ることが出来るのが「高松塚古墳壁画」公開です
飛鳥時代に興味があり当時の人々の思いに浸りたいシニアにおすすめです
高松塚古墳とは
高松塚古墳は7 世紀末から 8 世紀初めに築造されたとされる古墳です
発掘調査で藤原京期(694~710年)に造営されたことが判っています
二段築成の円墳です
次の写真で階段の直線上に石室の入り口があります

昭和47年に極彩色の古墳壁画が発見され、一大高松塚古墳ブームが訪れました
石室内部に星宿図・日月像・四神図・人物群像(女子群像、男子群像)が描かれています
壁画は国宝、古墳全体は特別史跡、出土品は重要文化財に指定されています
国宝高松塚古墳壁画は国宝キトラ古墳壁画とともに日本に2 例しかない極彩色古墳壁画ですから国宝は当然と言えます

被葬者は定まってはいません
皇族では忍壁(おさかべ)皇子、弓削皇子、高市皇子
有力者では右大臣の安倍御主人(あべのみうし)
渡来人では百済の百済王昌成(しょうじょう)などが考えられています
場所とアクセス
国宝高松塚古墳壁画 仮設修理施設は近鉄電車飛鳥駅から歩いて10分ほどの場所にあります

国営飛鳥歴史公園館の隣なので国営飛鳥歴史公園館を目指して歩くと良いでしょう
また車で行く場合は駐車場があります

ただシーズンは混むと思います
高松塚古墳だけに行くなら徒歩、他の旧跡も回るならレンタサイクルをおすすめします
近鉄電車飛鳥駅
何回も訪れている飛鳥駅です

今回は会場まで歩いて向かいます
駅前の交差点を渡って県道209号線に沿って東に向かいます

道路の左に国営飛鳥歴史公園館があるのですが会場の「国宝高松塚古墳壁画 仮設修理施設」は隣にあります

国営飛鳥歴史公園
国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園です

国営飛鳥歴史公園は「高松塚周辺地区」、「石舞台地区」、「甘樫丘地区」、「祝戸地区」、「キトラ古墳周辺地区」の5地区からになります
国営飛鳥歴史公園館は飛鳥地方の史跡や歴史を立体模型や映像を用いて紹介しています
明日香村周辺の様子が一目でわかる立体模型が部屋の中心にありました

周辺の史跡、石造物を写真パネルで紹介しています

無料なので是非訪れてほしい施設です
国宝高松塚古墳壁画 仮設修理施設の公開
壁画は現地保存が困難と判断されたために国宝高松塚古墳壁画 仮設修理施設に搬送して修理が開始されました
令和元年度に保存修理事業は完了しました
そして「古墳壁画の保存活用に関する検討会(第15回)」において出された「壁画を将来に伝えるためにも修理終了後、当分の間は墳丘に戻さず、引き続き保存と公開を行う」という方針に従い平成 20年から修理作業室を公開しているのです
毎年、西壁女子群像、東壁女子群像、青龍、東壁男子群像、玄武を定期的に公開しています
2025年の公開日程は下記の通りです

公開の方法は見学用通路からガラス窓越しに修理作業室を見学する方式です
公開当日に頂いたパンフレットから見学の様子をお借りしました

見えにくいので双眼鏡の貸し出しもあります
公開見学には公式ホームページより申し込みが必要です

下記より公式ホームページに入ってください
『国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開』事務局 公式ホームページ | 文化庁
指定時間は9時55分の第4班でした

国営飛鳥歴史公園館前が集合場所です

10人ほどが集まったでしょうか
受付を済ますと別室で壁画の説明と注意事項の説明を受けます
記念でいただいたパンフレットとクリアファイル

それから仮設修理施設に移動して見学になります
カメラの撮影はセミナー場所から禁止なのでお見せできなくて残念です
パンフレットから施設の写真を拝借しました

見学時間は10分ほどです
正直、壁画がはっきり見えることはありません
修理・保管をしている場所はこんなところなんだと分かったくらいです
でも本物が目の前にあると思えば感動はしました
見学が終わると解散になります

次はいよいよ高松塚古墳に向かいます
県道の下をくぐって案内板に沿って歩きます

芝生公園の横を通って丘を登ります


丘を登っていくと高松塚壁画館があります


高松塚壁画館
壁画は国宝に指定されいるため常時公開されていません
そのために古墳の隣に壁画模写を中心とした高松塚壁画館を昭和52年3月に開館して一般公開しています


壁画発見当時の精密な壁画模写「現状模写」

剥落や汚れを加減した模写「一部復元模写」

凝灰岩に漆喰を塗り再現した「再現模造模写」

棺を納めていた石槨を復元した「石槨模型」は写真禁止でした
そのほか副葬されていた太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡などの「副葬品レプリカ」が展示されていました
壁画公開では実物は見ることはできましたが壁画をハッキリ見ることは出来ませんでしたが、高松塚壁画館で壁画の詳細を見ることが出来るので是非立ち寄って欲しい施設です
高松塚古墳
高松塚壁画館から出て左手に高松塚古墳があります

あまり大きくありませんがきれいな円墳です
同時期に造られたキトラ古墳より少しだけ大きいようです
「大化の薄葬令」が出され墳陵は小型簡素化されていった時代のためと思います

何故。高松塚古墳と呼ばれているかというと、江戸時代に描かれた絵図に古墳の上に大きな松が描かれていて、このため「高松塚」と呼ばれるようになったようです
きれいに復元されています
また古墳を見渡せる展望台から見た高松塚古墳も美しいです

展望台からは牽牛子塚古墳も見えます(写真左手の白い墳丘)

元の道を引き返して中尾山古墳に向かいます
芝生広場の向かいの丘に中尾山古墳があります

尾根に古墳に続く1本道を歩きます

小ぶりの墳丘が中尾山古墳です

墳丘はかなり壊れていました
中尾山古墳
中尾山古墳は古墳時代終末期の8世紀初頭頃の築造と推定されています

調査の結果、八角墳と言うことが判明しています
八角墳は天皇陵の特徴とされています
墳墓想像図
2020/11/27 毎日新聞記事より転用

3段築成の墳丘の周囲に3重の石敷きを巡らせていたと推測されています
石敷きの隅を見ることが出来ます
コンクリートの置石が八角形の一つの角を表して何か所か置かれていました

置石の角度は135度なので置石の間を測ると古墳の大きさが分かります

柵の内側に見える同じような置石は盛り上がった墳丘の一つの角を示しています
何も説明文が無いのでコンクリートの置石が何か分かりませんよね
そして豪華な横口式石槨なこと、火葬された骨が納められた骨壺を入れたと思われることなどから文武天皇(683~707年)が被葬者であると有力視されています

持統天皇についで火葬された天皇であることが分かっています
文武天皇は藤原京を完成させ、しかも大宝律令と言う制度を作った天皇です
残念ながら若くして亡くなってしまいました
天皇であり亡骸は荼毘にふされたということから中尾山古墳が文武天皇陵であることは間違いないとされています
ところが宮内庁が治定した文武天皇陵は別にあります
宮内庁は栗原塚穴古墳を文部天皇陵(檜隈案古岡上陵)として治定しています
宮内庁は一度治定すると変更することは無いようです
でもその方が調査や見学ができるので良かったのかもしれません
*八角墳についてのブログも書いていますので興味ある方はそちらもご覧ください
こちらから シニアが知りたい天皇墓の八角墳
まとめ
高松塚古墳壁画の実物を見る機会を定期的に設けていることは国民の宝を知ると同時に守っていく必要性を教えてくれます
今回見学することで飛鳥時代の古墳に更に興味が出てきました
また高松塚古墳はその壁画で誰もが知っている有名な古墳ですが隣にある中尾山古墳の知名度はほとんどありません
でも八角墳の天皇墓候補の古墳であると思えば興味が湧いてくると思います
高松塚古墳を訪れたら中尾山古墳にも行って欲しいと思います
どちらも飛鳥駅からも近いので気軽に見学できる古墳です
飛鳥時代に興味があり当時の人々の思いに浸りたいシニアにおすすめです
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