シニアが知りたい天皇墓の八角墳、幾何学的なデザインは支配者の象徴です

楽しむ

こんにちはkyokotobaです

今回は畿内に5つある八角墳を紹介したいと思います

八角墳と言う言葉を初めて聞く人も多いと思います

八角形の形をした古墳のことです

学校では八角墳という古墳は習わなかったですよね

実は八角墳は全て飛鳥時代の天皇陵なんです

つまり言い換えれば八角墳は天皇だけが許された陵墓なのです

興味をなぜ持ったかと言うと飛鳥にある「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を訪れた時にその復元された八角墳のデザインと景観に圧倒されたのです

規模の大きな古墳はたくさんあります

でもそれとは明らかに一線を画した支配者の陵墓だと感じました

それから八角墳について調べてみると飛鳥時代の終末期古墳で畿内に5つあり、すべて天皇の陵墓だということが分かりました

そうなるとすべて見てみたいと思うようになり5か所すべてを訪問したのです

奈良桜井に1つ、奈良飛鳥に3つ、京都山科に1つです

もちろん1日で巡ることはできないので何日かに分けて5か所を巡ってきました

案外駅から近い古墳が多かったので今回の紹介記事を読んで興味が出た方も気軽に訪問できると思います

八角墳が出現した理由や畿内の5か所の八角墳を一つずつ説明していきたいと思います

最後まで読んでいただけると嬉しいです

古墳に興味があり王者のお墓である八角墳を知りたいシニアにおすすめです

八角墳とは

墳墓の形状が八角形になっているので八角墳と呼びます

実際の墳墓は宮内庁の治定のため立ち入り禁止になっていたり、墳土が崩れていたり、木で覆われていたりで昔の姿を見ることはできません

しかし一つだけ具体的な形状を見ることができる古墳があります

復元された斉明天皇陵と言われる「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」です

輝くばかりの八角墳でまさに王者のお墓ですね

内部の構造も分かる模型です

畿内に八角墳は5か所あり全て天皇陵です

舒明天皇陵を皮切りに飛鳥時代の天皇のお墓です

何故八角墳なのかという疑問がありますが、有力な説として平城宮跡の大極殿で見ることができる天皇が座する「高御座」も八角をしているので、八角形は天下八方の支配者である天子のいる処という中国・道教の影響を受けていると思われています

各豪族が自分の力を古墳によって示していたのが古墳時代でした

有名なのが蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳ですね

天皇は豪族と別の形のお墓を作ることで差別化したのです

また八角墳ができた時代は飛鳥時代ですが大化の改新が始まった時代でもあり天皇が中心で直接民を統治する律令制度に変わっていく時代でした

もう豪族が古墳の大きさを争う時代でなくなっていたのです

お墓は小さくても技術の粋が集まった八角墳は天皇しか造れないお墓になったのです

奈良時代になると更にお墓は簡素化されたり天武から天智系に皇統が変わったりで八角墳は作られなくなりました

畿内の5つの八角墳

舒明天皇陵を皮切りに八角墳を年代順に5つ紹介します

  • 舒明天皇陵       桜井市「段ノ塚(だんのづか)古墳」
  • 斉明天皇陵       明日香村「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」
  • 天智天皇陵       京都市山科「御廟野(ごびょうの)古墳」
  • 天武・持統天皇陵    明日香村「野口王墓(のぐちのおうのはか)古墳」
  • 文武天皇陵       明日香村「中尾山(なかおやま)古墳」

天皇陵と紹介しましたが斉明天皇陵「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」と文武天皇陵「中尾山(なかおやま)古墳」は宮内庁から天皇陵として治定されていません

宮内庁は別の古墳を治定しているのです

ただ発掘調査や文献により上記の古墳が定説になってきています

何より陵墓が八角墳なので間違いないであろうと思われます

それでは舒明天皇陵から順に天皇陵を説明していきたいと思います

墓陵への道順と現在の姿を紹介していきます

すでにkyokotobaのブログで記事にしている天皇陵もあるので詳しくはそちらもご覧ください

舒明天皇陵 

桜井市にある「段ノ塚(だんのづか)古墳」が舒明天皇のお墓として宮内庁も治定しています

天皇の最初の八角墳です

対辺の長さが約42mと大型の八角墳です

・行き方

近鉄電車大和朝倉駅から歩くのが近いです

お墓の中には立ち入れませんが墳丘の周りを歩くことができます

当時墳丘を覆っていたと思われる平積みの榛原石の一部を見ることができました

「段ノ塚(だんのづか)古墳」についてはブログで訪問の様子を書いているので興味がある方はご覧ください

こちらから  「段ノ塚(だんのづか)古墳」

斉明天皇陵

斉明天皇は舒明天皇の妻であり皇極天皇と斉明天皇と2度皇位に就いた天皇です

乙巳の変は皇極天皇の時でした

また天智・天武天皇の母親でもあります

飛鳥石を使った石造物を多く作らせたので石の女帝とも呼ばれています

奈良県明日香村にある「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」が斉明天皇陵とされています

対辺22mの八角墳です

ただ宮内庁が治定した斉明天皇陵は別にあるのですが現在は「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」が本当の斉明天皇陵であることが定説になっています

・行き方

近鉄電車飛鳥駅から徒歩20分くらいでしょうか

凝灰岩の切り石で全体を装飾されていたそうで現在は復元された陵墓を見ることができます

素晴らしいデザインと装飾性です

5つの八角墳で復元されているのは「牽牛子塚古墳」だけです

一度見学することをおすすめします

「牽牛子塚古墳(けんごしづか)古墳」についてはブログで訪問の様子を書いているので興味がある方はご覧ください

こちらから  「牽牛子塚古墳(けんごしづか)古墳」

天智天皇陵

乙巳の変を起こした中大兄皇子が天智天皇です

京都市山科にある「御廟野(ごびょうの)古墳」が天智天皇陵として宮内庁に治定されています

八角墳の対辺の長は42mで大型の古墳です

・行き方

京都地下鉄「御陵(みささぎ)駅」から徒歩15分ほどです

実はこの墳墓には天智天皇の亡骸は当時からありません

天智天皇は山科のこの地で行方不明になってしまったからです

なんでも天智天皇の靴だけが見つかり、その場所にお墓を作ったとされています

ただ天智天皇は671年に亡くなったのですが『延喜式』巻二十一諸陵寮に「山科の陵 近江大津宮御字天智天皇・・・」とあるので天智天皇陵がこの場所で間違いはなさそうです

天智天皇の行方不明の話は日本のミステリーの一つです

この出来事はミステリー小説の題材にもなっています

天智天皇陵(御廟野古墳)の参道入口には、石造りの垂直型日時計があります

これは、天智天皇が、日本で始めて漏刻(ろうこく)という水時計を設置したという故事にちなんで昭和13年(1938年)6月10日に京都時計商組合により寄贈されたものです

「御廟野(ごびょうの)古墳」についてはブログで訪問の様子を書いているので興味がある方はご覧ください

こちらからどうぞ 「御廟野(ごびょうの)古墳」

天武・持統天皇陵

壬申の乱で勝った天武天皇と藤原京を作った妻の持統天皇が葬られています

奈良県明日香村にある「野口王墓古墳」が宮内庁により治定されています

八角墳の対辺の長さは37mで中型の大きさです

・行き方

近鉄電車飛鳥駅から徒歩20分くらいでしょうか

面白いことに二人のお墓であることは偶然の出来事で分かりました

現在は宮内庁が治定している為に古墳の中に立ち入ることができないのですが鎌倉時代に盗掘にあい役人が墓の内部を調べた記録が残っているのです

「阿不畿乃山陵記(あおきのさんりょうき)」という記録に「赤く塗られた石室の中に布張りの棺と金銅製の骨壺があった」と記されています

この内容は日本書紀に書かれている、天武天皇は遺体を棺に納めて埋葬していることと持統天皇は天皇として初めて火葬し追葬されたとされていることに合っているからです

文武天皇陵

文武天皇は藤原京を完成させ、しかも大宝律令と言う制度を作った天皇です

残念ながら若くして亡くなってしまいました

奈良県明日香村にある「中尾山(なかおやま)古墳」が文武天皇陵とされています

八角墳の対辺の長は10.5mで小さい墳墓です

小さい理由は仏教の影響で火葬を行い骨を骨壺に入れて埋葬したためです

・行き方

近鉄電車飛鳥駅から歩いて約10分ほどです

高松塚古墳が目の前の丘にあるので高松塚古墳にはたくさん観光客が行きますが中尾山古墳を訪れる人はほとんどいません

実は宮内庁が治定した文武天皇陵は別にあります

ただ最近の中尾山古墳の調査の結果、墳丘の基礎部分が八角形であり横口式石槨や石敷きなどが出土しました

石榔は10の切り石で造られた棺を置くことができた大きさで火葬した骨を入れた骨壺を置いたとみられることから文武天皇のお墓と言うのが定説になっています

「中尾山古墳」についてはblog記事で訪問した様子を書いていますのでそちらもご覧ください

こちらから  「中尾山古墳」

八角墳と思われる古墳が畿内にもう2つあります

高取町にある「束明神(つかみょうじん)古墳」と明日香村にある「岩屋山(いわややま)古墳」です

・「束明神(つかみょうじん)古墳」

埋葬者は草壁皇子と推定されています

墳丘がかなり削られていて墳墓に見えないですね

しかし草壁皇子の墓陵も宮内庁が別の墓陵を治定しています

束明神(つかみょうじん)古墳の近くに岡宮天皇陵としてあります

岡宮天皇と言う名は亡くなった後で贈られた称号です

なのに束明神古墳が草壁皇子のお墓が有力なのは発掘調査したところ八角形の可能性があるとされたからです

草壁皇子は天武・持統天皇の皇太子だったので八角墳とする資格は十分あるのです

・行き方

近鉄電車飛鳥駅から20分ほど歩きます

「束明神(つかみょうじん)古墳」については別にブログで記事にしていますので興味がある方はご覧ください  

こちらから 「束明神古墳」

・「岩屋山(いわややま)古墳

発掘調査したところ八角形の可能性があるとされていますが、本格的な発掘調査が困難な状況になっています

埋葬者も意見が分かれているようです

・行き方

近鉄電車飛鳥駅の西側にあります

徒歩約3分ほどの激近です

「岩屋山(いわややま)古墳」については別にブログで記事にしていますので興味がある方はご覧ください

 こちらから 「岩屋山(いわややま)古墳

八角墳は別の地域にもあります

八角墳は飛鳥時代の畿内の天皇だけのお墓と説明してきましたが、実は別の地域にも八角墳はあります

東京都多摩市百草の稲荷塚古墳や兵庫県宝塚市の中山荘園古墳などです

ただし時代が違うようです

それらは天皇陵八角墳よりも古い時代の古墳とされています

地方の豪族たちが中央よりも先に中国の道教の思想に接していた可能性があるのです

古墳は日本全国でおよそ15万基ほど造られたようですが八角墳は15例ほどしかありません

興味がある方は調べてみたらどうでしょうか

まとめ

斉明天皇陵と言われる復元された「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を見た時は丘の上にUFOが停まっているのかと思いました

まばゆいばかりの白い凝灰岩は当時の人も現代の人も魅了しています

八角墳と言うデザインも斬新ですべての八角墳を見てみたいと思ったのです

畿内の5か所+2か所の八角墳は制覇しました

ほとんど当時の姿を残しているところはありませんでしたが想像するだけで楽しかったです

飛鳥時代に興味があり古墳に興味がある方なら八角墳の陵墓を訪れてみてはいかがでしょうか

意外と簡単に歩いて回れるので歴史好きのシニアにおすすめです

当記事へのご質問がある方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします