こんにちはkyokotobaです
厳冬期の中ですが穏やかな日を見つけて奈良桜井にある日本三文殊で有名な「安倍文珠院」に行ってきました
桜井駅の北は「山の辺の道」で有名ですが南も色々な史跡があります
安倍文珠院が代表的ですが古代から桜井の南部は磐余(いわれ)と呼ばれ天皇の宮が置かれるなど神聖な場所でもあったのです
今回は安倍文珠院だけでなく若櫻神社、上之宮遺跡、百済大寺廃寺など巡って約3時間のウォーキングをしました
シニアにはこれくらいのウォーキングが疲れなくていいのです
目的はもちろん「安倍文珠院」です

645年大化の改新の際に左大臣となった安倍倉梯麻呂が建立した寺院とされています
国宝の渡海文殊群像はじめ敷地の中には古墳や安倍晴明ゆかりの場所もあります
あまり敷地は広くないのですがギュッと見どころが詰まっているお寺です
冬だからか交通の便が悪いからなのか観光客もそれほど多くなくゆっくり見て回れました
見学者の方は車で来られる方が多いように思いました
そしてウォーキングの最後にはどうしても行ってみたかった百済大寺跡も訪れることができました
日本最初の天皇が作ったお寺です
吉備廃寺跡と呼ばれてお寺の跡があることは分かっていたのですが近年の発掘調査により
舒明天皇が建てた百済大寺跡と言うのが明らかになった経緯があります

桜井駅から歩いて有名な史跡を訪れながら安倍文珠院を見学してそして最後には百済大寺跡を見て近鉄電車大福駅から帰宅しました
約3時間あればゆっくり回れるコースだと思います
冬の良く晴れた日に桜井の名所・旧跡を短時間で歩きたいシニアにおすすめです
桜井駅からの見学コース
近鉄電車桜井駅からスタートして順に若櫻神社、上之宮遺跡、コロコロ山古墳、土舞台、安倍文珠院、安倍寺跡、百済大寺跡、近鉄電車大福駅のコースを歩きました
約3時間の行程です
・見学順

・ウォーキングルート

普通のウォーキングシューズで十分なので気楽に歩いてください
桜井駅
近鉄電車でもJR桜井線(万葉まほろば線)でも駅舎は一緒です
近鉄電車の方が便が良いので近鉄電車で行きました
近鉄電車側改札口を出た所に観光案内所があるのでガイドマップを頂きました

今回歩く予定の史跡が載っていないものもあり結構おおざっぱなのでガイドマップだけで歩くことは難しいでしょう

JR改札口の前を通り南口に出ます

駅のロータリーから南に延びる道を進みます

若櫻神社
駅からしばらく歩くと交差点に陸橋が掛かっているので超えて歩いていると道路の右に神社が見えてきます
これが若櫻神社です


実は桜井には「わかざくら神社」と呼ばれる神社が二つあるのです
一つがこの若櫻神社でもう一つは池之内地区にある「稚桜神社」です
履中天皇磐余稚桜宮の伝承を持つふたつの神社・若櫻神社と稚櫻神社です
話せば長くなるのですが、日本書紀に履中天皇が皇后と磐余の市磯池(いちしのいけ)で遊宴中に、桜の花が盃に落ちた事を天皇は珍しい事と喜ばれ、この桜のあった御所の掖上の桜を清水湧き出る泉のそばに植えられ、宮の名前も磐余稚櫻宮にされたといい、桜井という名はここからきているといわれています
神社の周辺を履中天皇の磐余稚桜宮跡に充てる説があるので、どちらの神社も候補地とされていて専門家の間でも諸説意見がありようです

今回訪れた若櫻神社の境内には日本書紀の逸話を説明する案内板もあり桜井市はこちらの神社を押しているようにも見えます
興味がある方は調べてみてください
上之宮(うえのみや)遺跡
若櫻神社から道をそのまま進むと奈良県立商業高校が見えてきます

その高校のグランドの交差点を左に曲がり少し歩くと上之宮遺跡への案内板があります

案内板に従って進むと住宅街の中に入っていきます
ふと右を見ると上之宮遺跡がありました
思いのほか小さい遺跡なので見落とさないように注意してください

上之宮遺跡は聖徳太子が幼年時代を過ごした上宮(かみつみや)である可能性が高いとされています

1986年に桜井市教育委員会で調査が行われました
6世紀末に大邸宅として整備されていた事がわかっています
貴重な遺跡であることから発掘調査後、埋め戻され、今見ることができる園池遺構はその上に原寸大に復元されたものです
きれいに復元されていてベンチなどがあり休憩もできます

ただ聖徳太子の宮の跡ではないかと言う説の他に周辺に拠点を持っていた阿部氏にかかわる遺跡ではないかとの説もあるようです
コロコロ山古墳
上之宮遺跡からすぐのところにコロコロ山古墳があります
すぐと言いましたが少し分かりにくかったです
上之宮遺跡から南に進み大きな道路を横断して南に見える丘まで住宅街を抜けて行ってください

住宅と丘の間の小道を右に進むと分かりやすいと思います
コロコロ山古墳はビックリするくらい小さいです

フェンスに囲まれて中に入ることはできませんが石室を覗くことはできます

元々メスリ山古墳の西方20mの所に所在していましたが土地区画整理事業で発掘調査され調査後、現在の場所にコンクリートの屋根を付け移築保存されているのです
築造年代は6世紀末と考えられています
埋葬者は分かっていません

今回は行きませんでしたがメスリ山古墳はすぐ横に見えます

土舞台
日本芸能の発祥の地と言われる「土舞台」に向かいます
上之宮遺跡に行くために曲がった奈良県立商業高校のグランドの交差点まで戻ります
「土舞台」の案内標識に従って坂道を上ります

途中案内標識があるのですが小さいので見落とさないように注意です

右に折れて宗教施設まで進んだら道なりに左に進み少し道を下って今度は山に向かって右に曲がります

この辺には案内標識がありませんから注意して進んでください
坂道を下りかけに右を見ると小さい案内標識がありました(見つけるの困難)

ここからは山に登ります
頂上は公園になっていました


なぜ日本芸能の発祥の地と言われているのかというと「「日本書紀」に推古天皇20年、時の摂政聖徳太子に、百済人味摩之が我が国に帰化して、「呉に学びて、伎楽の舞を得ました」と申し上げた。そこで太子は「桜井」にて我が国の少年を集めて、この伎楽の舞を習わしめた」としるされていて、その場所がこの「土舞台」とされているからです

日本最初の国立演劇研究所と国立劇場だったのです
ここにも聖徳太子が出てくるのは桜井のこの地域と聖徳太子は関係が深かったのでしょうね
安倍文珠院
土舞台から元来た道を引き返します
土舞台の標識まで返ったら西に向かって道を歩きます
しばらく歩くと左手に安倍文珠院の東山門石碑があります

この道は駐車場に向かう道になります
安倍文珠院の境内を散策するのは無料です
安倍文珠院は大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂が大化元年(645年)に孝徳天皇の勅願もあって安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まりです
「三人寄れば文殊の知恵」という格言があるように知恵の仏さまとして有名ですね
京都知恩寺「切戸文殊」、奈良安倍文珠院、山形大聖寺「亀岡文殊」が日本三文殊とされています、
そして安倍文珠院は日本三文殊の第一霊場なのです
境内は広くはありませんが有名な史跡がギュッと詰まっているコンパクトなお寺と言えます
稲荷社から見た境内風景

安倍文珠院の見どころはたくさんあるのですが東山門石碑から境内に入って見学順に紹介しますね
・十一面観音
昭和57年に建立された仏像です

・東古墳(県指定史跡)
飛鳥時代の古墳と言われています
埋葬者などは分かっていません

・白山堂(重要文化財)
室町時代に建立された安倍文珠院の鎮守の神社です

・石仏
弘法大師像とその前に御砂踏み石があります

・合格門
合格門を通って晴明堂・展望台に向かいます

・展望台
安倍晴明が天体観測をしたと伝えられています
奈良盆地が良く見えます

・花の広場
毎年その年の干支をパンジーで描いた花絵を展示しています
展望台から見た花絵です
2025年はへびです

・晴明堂
陰陽師の安倍晴明をお祀りしています
安倍文珠院は安倍晴明が生まれた場所とも修行をした場所とも伝えられていて縁が深い場所です

・金閣浮御堂
池の中に造られた陰陽師の安倍晴明や遣唐使で有名な阿倍仲麻呂をお祀りするお堂です

堂内には秘宝であるご尊像やご尊軸、陰陽道に関する古文書が納められています
「厄除け七まいり」が有名です
kyokotobaもお参りしました
受付でお札を買います

本堂見学券とセットになっているお札を買いました

金閣浮御堂に入るには拝観券を渡すとお札とお参りの仕方やお守りを頂けます

この「厄除け七まいり」は一年一生のうちに思いがけない七つの災難にあうとされており、こうした七難に会わないように厄除け魔除け災難除けの神仏がお祀りされているお堂の回廊を七周回ることで厄除けと願いがかなうとされているお参りです
願い事をしながら一周回るごとにお札を納めて七周お参りします
七周したらお堂に入ることができます
お堂の中では安倍晴明像や陰陽師にかかわる資料などを見ることができます

・西古墳(国指定特別史跡)
飛鳥時代の古墳で埋葬者は安倍倉梯麻呂と伝わっています

全国に国指定特別史跡は64件しかなく、そのうち古墳は数件しかないので貴重な古墳と言えます
石室は石が正確に組み上げられています

・稲荷社
安倍文珠院は安倍晴明の誕生地とも伝わっています
そして安倍晴明の母と伝わる白キツネを祀っているのが稲荷社です


稲荷社からは安倍文珠院の境内が一望できます

・本堂
江戸時代に再建されています
文殊菩薩像が安置されています

受付で先ほど買った拝観券を渡すと案内書とお菓子付きのポストカードを頂けます

・渡海文殊群像(国宝)
国宝中の国宝と言っていい素晴らしい仏像です
獅子に乗った文殊菩薩が4人の脇士を伴い雲海を渡って衆生の魔を払い知恵を授けるため説法の旅に出る様を表しているそうです
本来は獅子の上に載っているのですが、耐震工事のために現在は降りています
今だけ見える貴重なお姿です

5体すべてが国宝なのですが、そのうちご本尊の騎獅文殊菩薩像と3体は鎌倉時代に仏師快慶によって造られました
もう1体は安土桃山時代の作ですが国宝です
・釈迦三尊像
本堂から横の釈迦堂に行くことができます
安置されているのが釈迦三尊像です
元々、多武峯妙楽寺(現在の談山神社)の本尊でしたが廃仏毀釈の時代に引き取られた経緯があります
・阿倍仲麻呂公の歌碑
教科書で習う阿倍仲麻呂も一族なので有名な歌の歌碑がありました

何回も言いますがそれほど広くない境内に見どころがギュッと詰まっているので満足度は高いお寺と思いました
訪れたことが無い人にも是非訪れてほしい名所だと思います
全て見学したので表門に向かいます

安倍寺跡
安倍文珠院の表山門を出て左に進みます

右に見えてくる公園が国の史跡に指定され史跡公園として整備されている安倍寺跡です


普通の公園のようですが建物の基壇跡などを見ることができます

ここのベンチで少し休憩しました
吉備池廃寺(百済大寺跡)
安倍寺跡から百済大寺跡に向かうのですが行き方が少し分かりにくいです
GoogleMapを見ながら歩くのが間違いないのです

kyokotobaはいったん安倍文珠院の表門まで戻って西に延びる道を進みました
そうすると北側に小高い堤が見えてきたので路地を通り抜けて北に歩くとそこが百済大寺跡です
どうみても路地なので通り抜けできるのか心配しました

右手の土手が吉備池の堤になります

百済大寺跡(くだらのおおでら)は舒明天皇によって639年に建立されたとされた日本初の国家寺院です
それまでのお寺は有力な豪族が建てていたのです

長年、百済大寺跡は所在が不明だったのですが吉備廃寺跡を調査すると金堂、塔、中門、回廊、僧房などの遺構が発見され今では百済大寺跡で間違いないであろうと言われています
今は池になっているのですが、もともと平地に堤を作ってため池にしたようで池の底が当時の地面になります

南に向かって左の基壇が金堂、右の基壇が塔と言う配置です

日本書紀には百済大寺には九重の塔が建っていたと記載があります
高さはなんと90mと推定されています
とんでもない高さですね、想像も付きません
金堂土壇跡から見た塔の土壇跡

なんで九重塔を建てたかと言うと当時の東アジアでは国家の最重要なお寺№1のお寺には九重塔があるので日本も採用したようです
この寺院はその後どうなったのかと言うと日本書紀には天武2年(673年)に高市の地に移されたとあります
その時全て解体されて高市大寺に移されました
日本最古の国家寺院が百済大寺だったのですね
注意:見学は冬に行くことをおすすめします。理由は草が無いことと蛇が出る心配が無いからです
こんな看板がありました

おまけ 「季節和菓子 げん」
百済大寺跡から近鉄電車大福駅に向かいます
途中に和菓子屋さんがあったのでお土産を買いました
名前はさんです
田んぼの真ん中にポツンとある有名な和菓子屋さんです

百済大寺跡に行くときの目印になるお店でもあります
おいしく頂きました

近鉄電車大福駅
「季節和菓子 げん」さんからは駅まで一本道なので間違えようがありません
JRの線路を通り過ぎてすぐに近鉄電車大福駅があります

平日の昼間の本数は3本ほどなので長く待つということはありません

まとめ
桜井駅から安倍文珠院を目的として3時間ほど街中をウォーキングしました
シニアには丁度良い距離だと思います
そして見どころがたくさんあるので、次はどこと歩く目標を決めて歩くので飽きることがありませんでした
安倍文珠院の(国宝)渡海文殊群像は素晴らしかったです
一度は訪れた方が良い寺院なのではないでしょうか
まだ観光客も少ないので穴場の名所と思います
そして歴史好きで古墳や史跡好きな人は桜井をぜひ歩いてみてください
今回のコースは桜井の名所・旧跡を短時間で歩きたいシニアにおすすめです
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