こんにちはkyokotobaです
今回は日本国誕生の地と言われる「藤原宮跡」に行ってきました
藤原宮は藤原京の中心にあった宮殿のことです
現在は「藤原宮跡」として整備されています
藤原宮の大きさは一辺約1キロで大極殿や内裏をはじめ政治の中心施設が集まっていました
藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間と短命ですが日本最初の本格的な都でした
そしてビックリですが藤原京の広さは平城京を上回る大きさだったそうです
藤原京については学校ではあまり詳しく教えないので知ってる人や興味がある人は少ないのではないでしょうか
日本が国として歩き始めた所として平城京や平安京につながる最初の本格的な都として重要なスポットと言えます
ただ残念ですが藤原宮跡には復元された建物は何もありません

広い空き地が広がっているだけなのです
でもちゃんと保存してくれているので後世に伝える努力を関係者の皆さんがされていることに感謝です
現地を訪れていにしえの都のことを想像力を掻き立てて思うのも楽しいものです
初冬の晴れた日、風は強かったですが気持ちよく歩くことができました
日本が国として歩み始めた歴史的な史跡をのんびり歩きたいシニアにおすすめです
「文物の儀 是に備れり」とは
なぜ藤原京は日本誕生の地と言われるのでしょうか
藤原京では文武天皇の下、大宝元年(701)の元日に朝賀の儀式が行われました
その様子を『続日本紀』の編者は「文物の儀、是に備れり」と記しています
新興国であった日本が大宝律令と言う制度と藤原京という立派な都を手に入れたので、これからは律令国家として歩んでいくという宣言です
ソフトとハードが完成したので新しい日本の出発を何とも誇らしげに簡潔な言葉に表していて名言と言っていいでしょう

藤原京が日本誕生の地と言われる所以です
ウォーキングルートと見学先
藤原宮跡は交通の便が良くないので車か徒歩で訪れることになります
kyokotobaはいつもの通り徒歩で訪れることにしました
近鉄電車の畝傍御陵前(うねびごりょうまえ)駅が最寄りの駅になります
駅の近くには神武天皇陵や橿原(かしはら)考古学研究所付属博物館があるので最初に見学しました
「藤原宮跡」からは近鉄電車の八木西口駅まで歩いて帰宅しました
約3時間のほどのウォーキングでしたがシニアには丁度良い行程ではないでしょうか
見学先とルートは下図の通りです、参考にしてください
畝傍御陵前駅➡橿原考古学研究所付属博物館➡神武天皇陵➡本薬師寺跡
➡朱雀門跡➡藤原宮跡➡八木西口駅

畝傍御陵前駅からスタートです
・畝傍御陵前駅
西出口から見た駅舎
西口駅前には何もありません

駅近くの橿原考古学研究所付属博物館の見学からスタートです
橿原考古学研究所付属博物館までは徒歩5分ほどでしょうか
目印は奈良県立橿原考古学研究所の白い建物です

交差点を右に行くと橿原考古学研究所付属博物館です
橿原考古学研究所附属博物館

入り口を入って右側に束明神(つかみょうじん)古墳の石室の復元物が展示していました
束明神古墳は草壁皇子のお墓と言われている墳墓です
以前に束明神古墳を訪れていたので見たかった石室なのです
これだけで満足してしてしまいました

博物館本館

・入館データ
開館時間 午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日
観覧料 ・大人 400円 ・学生(大・高校生)300円 ・小人(中・小学生)200円
65歳以上は無料なのでシニアにはうれしいです
橿原考古学研究所付属博物館は主に橿原考古学研究所が発掘調査した出土資料を中心に展示を行っています
弥生から飛鳥時代にかけて国宝・重文など貴重な出土品がずらりと並んでいます
考古学ファンであれば一度は訪れたい博物館です



会場にはグッズ売り場もあります

博物館の建屋の外にもレプリカの石棺などが展示されているのでお見逃しなく

貴重な展示物が整理して置かれているので興味がある方なら半日は滞在できるほど充実しています
神武天皇陵
橿原考古学研究所付属博物館を出て左に進んで神武天皇陵に向かいます

神武天皇陵の入り口までは5分ほどで近いのですが陵墓まではかなり歩きます

とてもきれいに整備されています。今まで見た御陵の中でも一番立派と思いました

神武天皇陵は日本の初代天皇とされる神武天皇の陵です
日本書紀も畝傍山のふもとに墓があるとは書かれているのですが候補地が数か所あり、現在の神武天皇陵は幕末に治定・整備されたものです
そして宮内庁もここに治定しているのですが本当に神武天皇陵であるかは必ずしも明らかではありません
幕末に盛り土しただけの陵墓なので石室とか石棺は無く埋蔵文化財包蔵地とはされてはいません
本薬師寺跡
神武天皇陵から畝傍御陵前駅に戻ります
駅横の踏切を渡り東口に出ます

畝傍御陵前駅東口

真っすぐ東に向かう道を歩きます
餃子の王将が駅近くの交差点にあるので間違う心配はありません

本薬師寺跡

薬師寺の創建は天武天皇が、病に倒れた皇后・持統天皇の病気平癒を願って創建を発願しました
天武天皇が亡くなった後、持統天皇がその意思を継ぎ、息子の文武天皇の時代に完成させました
薬師寺は当時の国家仏教の中心的存在であり重要なお寺だったのです

平城京への遷都に際して奈良市西ノ京町の現在の薬師寺に移築したのです

当時は壮大なお寺だったのでしょうが現在は敷地も小さく礎石が置かれているだけになってしまっています

少し離れて東塔の後も残っています

朱雀大路門(すじゃくおうじ)跡
本薬師寺からいよいよ藤原宮跡に向かいます
道なりに進むと飛鳥川と交わります

橋を渡ってしばらく歩いて右折して、まほろば通りを進むと朱雀大路跡が現れます
朱雀大路の跡です

幅24メートルの道幅で羅城門まで続いていました
平城京の朱雀大路は幅75メートルなので狭く感じますが当時は最新のメインストリートだったことでしょう
南前方には岡があり、その中を削って朱雀大路は南に続いています
北に目をやると藤原宮の大極殿跡と耳成山が見えます

藤原宮跡に向かうには目の前の田んぼのあぜ道を通って行くのが早道です
看板はないので自分で適当な道を探すことになります


藤原京とは
ここで藤原京について調べたので少し説明します
藤原京は京と呼べる日本最古の京になります
西暦676年、時の天皇であった天武天皇の命により永続的な国家の首都として藤原京の造営は始まりました
それまでは天皇が変われば宮も作り直していたんですね
着工は676年で完成は704年です
天武天皇・持統天皇・文武天皇と三代の天皇で完成したことになります

そして持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都として694年~710年の16年間続きました
特徴は規模の大きさです
約5km四方の大きさで平城京をしのぐ大きさだったことが最近の研究で分かってきました
また藤原宮は日本で初めて造られた瓦葺の宮殿ということです
しかし全ての建物が瓦葺と言うわけではなく中央区の大極殿や朝堂院、朝集院および、宮を取り囲む塀や宮城門は瓦葺でしたが、その他の役所などは従来通り板葺き屋根でした
藤原宮跡
前にも述べましたが藤原京の大極殿・朝堂院の跡を中心とする地域が「藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)」として整備されています
藤原宮は一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがありました

現在で言えば皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街が集まっていたと場所と思ってください
現在は史跡公園となっていてその頃の面影を見ることはできませんが、現在でも専門家による発掘や研究が続けられている場所でもあります
朱雀大路跡からあぜ道を通って北に進むと史跡公園がありました
目の前に見える赤い柱群が朝堂院南門跡です

朝堂院は役所が集まっていたところと思ってください
広々として気持ちが良かったのでバンザイをしてみました
大極殿跡の森の後ろに大和三山の耳成山が見えています

それからさらに北に歩くと朝堂院南門跡と同様な赤塗りの柱群があります
これが大極殿院の南門跡です
展示している礎石や柱は全てレプリカなのでお間違いのないように

こんな門が建っていたのでしょうね・・・平城宮跡の復元した大極門

大極殿院には大極殿があり4つの門があり廻廊に囲まれていた空間でした
このこんもりとした森が大極殿跡です


こんな大極殿が建っていました・・・平城宮跡に復元された大極殿

平城京の大極殿は藤原京から遷都するときに移築されたので藤原京と平城京の大極殿は同じものなんです
大極殿跡から南を見た所・・・大極殿院南門跡が見えます

南東に大極殿跡から大和三山の一つ、天香久山が見えます
藤原宮の位置が大和三山に囲まれた場所であることが分かると思います

大極殿跡から南東を見ると大和三山の一つの畝傍山が見えます

特に復元した建物とかはないので見学は短時間で済みました
大極殿跡の道路を挟んで北側には現在では池になっている内裏跡があります

藤原宮の建物は平城京に移築しているので先に平城宮跡を見学しておいた方が当時の様子を想像することができるのでおすすめします
帰りは近鉄電車八木西口駅まで歩きました
藤原京はなぜ短命だったのか?
ところで何故、藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間と短命だったのでしょうか
その理由には諸説あるようです
中でも有力な説としてあるのが衛生上の問題です
藤原京の置かれた場所の地形は南東が高く北西が低い地形となっていたので汚物混じりの汚水などが藤原宮の天皇の住まいにまで流れてきて衛生上不都合だったことや、川が遠く、水が不足したのではと推測されています
確かに現地に行ってみると平坦な土地で水はけは悪そうだなと思いました

また権力を持ち始めた藤原氏が他の豪族の力を遠ざけるために遷都したという説もあります
まとめ
日本最初の永続的な首都として作られた藤原京は平城京、平安京に比べて知名度は劣りますが日本の始まりの都なのです
その遺構が残る藤原宮跡は是非訪れて欲しいと思います
大和三山に囲まれた場所には建物は何もありませんが当時の雰囲気を思うことは十分できると思います
交通の便が悪いので行きづらいですが、のんびり歩いてみたらどうでしょうか
初秋にはコスモスが咲き乱れるそうなのでもう一度その時期に訪れたいと思いました
日本が国として歩み始めた歴史的な史跡をのんびり歩きたいシニアにおすすめです
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