こんにちはkyokotobaです
西飛鳥の牽牛子塚古墳に行った報告はさせてもらいましたが、実は同じ日に近くのマルコ山古墳と束明神古墳にも歩いて行っていたのです
今回は「マルコ山古墳」と「束明神古墳」の紹介をしたいと思います
マルコ山古墳と言う名前は聞いたことがあると思われる方がいるかもしれません
一時期発掘ニュースで騒がれた古墳なのです
また束明神古墳の名前は、ほとんど方は聞いたことは無いのではないでしょうか
どちらも高貴な方のお墓のようです
牽牛子塚古墳からマルコ山古墳に向かい、その後束明神古墳を見学して近鉄電車飛鳥駅に戻ってきました
古墳を巡っている観光客はkyokotoba一人でしたよ
古墳への標識もあるので道に迷うことはありません
稲刈りが済んだ田んぼの横を歩きながらのんびり西飛鳥を歩くことができました
飛鳥駅からそんなに離れていないので徒歩で回るのが良いと感じました
秋から春にかけて一人又はご夫婦、グループでゆっくり回ってみませんか
まだ知られていない西飛鳥を歩いてみたいシニアにおすすめです
牽牛子塚古墳からマルコ山古墳と束明神古墳の位置関係
牽牛子塚古墳からマルコ山古墳と束明神古墳を回って飛鳥駅に帰る道順は下の図の通りです
所要時間は90分くらいでしょうか
谷から別の谷に移動する感じですが見通しが良いところを歩くので一人で歩いても心配なところはありません
また近鉄電車の線路まで出てしまえば飛鳥駅まで線路に沿って道が整備されているので間違いなく帰れます
牽牛子塚古墳の記事はこちらからご覧ください 牽牛子塚古墳
マルコ山古墳
牽牛子塚古墳からマルコ山古墳に向かいます
道を戻って無料駐車場横の道を右に曲がります
広い道に出るのでそれを左です
高取川に出るので渡ってすぐの道を右に曲がり川沿いに南に歩きます
マルコ山古墳の標識があるので踏切を渡ります
集落を抜けて少し歩くと右上にマルコ山古墳が姿を現します
牽牛子塚古墳のような光る墳丘ではなく一般的な姿をしています
マルコ山古墳は二段の墳丘になっています
上段は円墳の形になっています
一段目は発掘調査の結果六角形をしていることが分かってきました
六角墳は非常に珍しく円墳と八角墳との間の六角墳ということは、八角形なら天皇のお墓ですが六角形なので豪族とかではなく皇室ゆかりの高貴な方のお墓ではないかと考えられます
時期的には飛鳥時代の後半の終末期古墳になります
有名なキトラ古墳、高松塚古墳とよく似た石室が入っていて時期的にもほぼ同じらしいです
石槨式(せっかくしき)石室と言い、二上山の凝灰岩を豆腐のように四角に切って組み合わせている石室です
そしてキトラ古墳とよく似ていて天井が屋根型になっていることも分かりました
しかもその中に漆喰が塗られていました
マルコ山古墳が有名になった理由は高松塚古墳とキトラ古墳と同時期の古墳でしかも石室の内部の漆喰が塗られていることが分かったことから内部に色彩画が描かれている可能性が出てきて内部調査に関心が集まったからです
結果は絵は描かれていませんでした
理由は分かっていません
埋葬者は川島皇子の説があります
川島皇子は天智天皇の息子で大津皇子謀反を密告した方と言われています
持統5年(691)9月に没しているので古墳の時期と墳丘の形が6角形をしていることで可能性は高いようです
一段目の墳丘に上がってみました
横の小道を進みます
トイレも整備されています
墳丘の後ろから見た二段目の墳丘と溝
溝は流れてくる水を排水するための濠で墳丘を水から守っています
この石の正面に石室への穴があります
一段目は六角形なので一段目の墳丘を見るとまっすぐな面が屈折している部分があるらしいのす
二段目の墳丘から一段目を見ましたが角にあたるところは分かりませんでした
マルコ山古墳から見える景色です
被葬者に見せたい風景が広がっています
とてものどかできれいな風景です
どこか牽牛子塚古墳の風景と似ているような気がしました
束明神(つかみょうじん)古墳
束明神古墳はマルコ山古墳から見て向かいの尾根の反対側になります
尾根を越える道が無いのでマルコ山古墳から束明神古墳へ行くには元来た道を近鉄電車の線路近くまで戻る必要があります
束明神古墳への標識があります
高取国際高校のグランドの横を歩きます
マルコ山古墳が向かいに見えています
歩いていると標識が現れます
集落の中を歩きます
民家に囲まれた道を歩きます
正面はお寺です
脇道を進みます
お寺の横の階段は春日神社への登り口です
・春日神社
束明神古墳は春日神社の境内の中にあります
と言うか束明神古墳が先なので春日神社は後で作られた神社です
階段には天保13年に階段が作られたとしるされているので春日神社は江戸時代にはあったものと思われます
春日神社本殿
しっかりお参りしてきました
束明神古墳は山の尾根を削って平坦にして墳丘を作ったのですが、その山を削った平たい一部に春日神社を作ったのです
・束明神古墳
言われないと気付かないほど墳丘は低いです
長い年月で削られて低くなってしまってるのですね
灯篭にちゃんと束明神という字が書かれています
また墳丘の形も円なのか角なのか分かりません
しかし墳墓を調査したところ墳墓の基礎部分が八角形になっていることが分かり束明神古墳は八角形古墳だろうと推定されています
そして石室は小さい切り石を組合せた屋根がある石室でした
この石室は橿原考古学研究所付属博物館の庭に復元されて見ることができます
橿原考古学研究所付属博物館入り口の右側にあります
立派な石室です
石室はキトラ古墳、高松塚古墳の石室より大きいのです
・埋葬者はだれなのか?
草壁皇子(くさかべのおうじ)とされているようです
草壁皇子は天武天皇と持統天皇の息子で皇太子になった方で持統天皇3年(689年)に亡くなっています
将来の天皇ですからお墓が天皇のお墓である八角墳でもおかしくありません
しかし不思議なことに束明神古墳の近くに草壁皇子のお墓とされている岡宮天皇陵があるのです
上の地図で位置関係を確認してください
岡宮天皇は草壁皇子の尊号で宮内庁が管理している天皇陵です
なんで二つお墓があるのかと言うと、明治時代にまだ定まっていない天皇や皇子の墓を定めようということで役人が調査に来たのですが、束明神古墳が草壁皇子のお墓としたら立ち退きを命じられると恐れたので別の場所の墳墓つまり今の岡宮天皇陵を教えたということです
昔から束明神古墳のことを村人は草壁さんと呼んでいたから草壁皇子のお墓と知っていたのですね
そういうことからも束明神古墳が草壁皇子のお墓の可能性は高いと言えます
帰路はたかとり保育園から高取国際高校前を通って高取川に沿って続く道を飛鳥駅まで歩きました
線路が平行に走っているので間違えようがありません
まとめ
西飛鳥と呼ばれている地域には天皇陵や天皇家にかかわる高貴な方の陵が点在しています
それでいて観光コースから外れているので訪れる人も少ない穴場です
今回紹介したマルコ山古墳も発掘調査時には大変話題になったのですが最近では名前を聞いたことはあるけど行ったことは無いという方が多いです
近鉄電車飛鳥駅を降りたら東の有名史跡ばかり行かずに線路の反対側の西飛鳥を巡ってみることをお勧めします
ゆっくりのんびり自分だけのコースを見つけて歩いたらどうでしょうか
牽牛子塚古墳をメインにマルコ山古墳、束明神古墳まで足を延ばしてもそんなに時間はかかりません
まだ知られていない西飛鳥を歩いてみたいシニアにおすすめです
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