シニアが行きたい牽牛小塚古墳(けんごしづかこふん)白く輝く御陵は必見です「沼山古墳」「益田岩船」「岩屋山古墳」「越塚御門古墳」も巡ります

楽しむ

こんにちはkyokotobaです

奈良県の飛鳥にある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)に行ってきました

牽牛子塚古墳は斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)が合葬されています

2022年3月に飛鳥時代の造営当時の姿に復元公開された古墳です

丘の上に白く輝く姿はまるでUFOが着陸しているみたいでした

当時の人々がこのお墓を仰ぎ見たらこの世とは思えない驚きだったと思います

さすが2度皇位について初めての女帝のお墓にふさわしい姿です

他の古墳とは全然ちがう姿は見る人に強いインパクトを残すと思います

公園としても良く整備されていて墳丘から見下ろす景色も素晴らしかったです

kyokotobaは景色を見ながらお弁当を頂きました

牽牛子塚古墳の直ぐそばには斉明天皇の孫の大田皇女が眠る越塚御門古墳があります

また近鉄飛鳥駅の一つ前の岡寺駅近くには牽牛子塚古墳と関係が深い益田岩船があります

今回の目的は牽牛子塚古墳ですが近くの旧跡も順に巡ってきました

「沼山古墳」「益田岩船」「岩屋山古墳」「越塚御門古墳」「牽牛子塚古墳」です

3時間ほどあれば歩いて回れると思います

旅行者のほとんどは飛鳥駅の東側にある高松塚古墳や橘寺や石舞台の有名史跡を訪れると思いますが西側にも素晴らしい史跡があることが分かりました

秋冬の短い日中でも十分楽しめるので気軽に出かけてみてはいかがでしょうか

斉明天皇とゆかりの女性たちが眠る古墳に興味があるシニアにおすすめです

今回巡ったコースと位置関係

歩いたコースを紹介します

岡寺駅➡「沼山古墳」➡「益田岩船」➡岡寺駅➡飛鳥駅➡「岩屋山古墳」➡「越塚御門古墳」➡「牽牛子塚古墳」

岡寺駅から飛鳥駅までは電車移動です

益田岩船から牽牛子塚古墳までは山道があるようですが、あまり整備されていないようなのでおすすめしません

普通の服装で良いですが靴はスニーカーではなくトレッキングシューズをおすすめします

沼山古墳

近鉄電車吉野線岡寺駅から出発です

西出口から南西約600mにある白橿(しらかし)近隣公園という公園の中にあります

標識は古墳近くにならないとありません

駅前には牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)があります

県道207号線にかかる陸橋を渡って住宅街を抜けると白橿(しらかし)近隣公園があります

沼山古墳の標識がありました

沼山古墳は直径約18m、高さが約5.5mある小ぶりの円墳です

直径のわりに高さが高いのがこの古墳の特徴です

6世紀後半に築かれた古墳と言われています

横穴式石室で1982年に行われた発掘調査の結果、ガラス製や銀製の装身具の他に馬具や矢じり、須恵器、土師器などが出土されました

中でも注目されたのが甕(かめ)、甑(こしき)、竈(かまど)のミニチュア炊飯具が出土されたことです

お米を蒸して食べる習慣は大陸や半島ゆらいの文化なので、蒸し器の3点セットが出土したことから渡来系氏族の墳墓の可能性が高いと考えられています

また石室の形が正方形に近いことも分かりました

墓室が正方形というのも朝鮮半島の高句麗とか大陸に多くみえることからも渡来系氏族のボスのお墓と考えられています

石室の中には入れませんでした

資料では石室はアーチ状に石を積み上げていて天井がものすごく高いそうです

その石には飛鳥石を多く使用しているそうです

益田岩船(ますだのいわふね)

沼山古墳から益田岩船はすぐ近くです

道に岩船の絵が描いていました

人との比較で大きな石だと分かります

右に見えるうさぎの置物の横の階段を登ります

急な階段ときつめの山道が続きます

少なくとも靴はトレッキングシューズを履くことをおすすめします

途中に大きな石が露出していました

飛鳥石(石英閃緑岩)です

この山は石材の豊富な山であることが分かります

昔から益田岩船はどこから運んできたのか論争になっていたのですが、山の上に運んで作ったものではなくこの山に元々あったものなのですね

益田岩船に着きました

前を行く御夫婦と比較してもその大きさが分かります

縦と横に溝が彫られています

この溝の深さに合わせて石を平たく加工していきます

この工法は飛鳥の石造物に痕跡としてよく残っていることから、益田岩船は飛鳥時代の石造物ということが分かります

加工済の部分、岩肌がツルツルになっています

益田岩船は江戸時代から注目されていた大岩でした

どうやって運んだのか山の上に加工途中の大きな岩があるのか不思議だったからです

石の船を造ろうとしていたのではないか、その上に石碑を立てたのではないか、怪しげな儀式をここで行ったのではないかなどと言う意見が出ていました

それが調査の結果、理由がわかってきました

高台に上がって岩船を眺めると四角い穴が二つ空いているのが分かります

四角い穴が二つ開いているのは二人を一度に葬るために造ったのではないかと考えられます

また岩が屋根型に加工しているので石室として加工しているのではないかと考えられます

そして岩船を90度起こすと屋根付きの墓室が二つある石室になることが分かりました

放棄した理由は墓室の加工中、中に大きなひび割れが入ったのでこのままでは割れてしまうのではないかとの理由だと思われます

そして飛鳥石を使っていることと二人の埋葬を考えていることから斉明天皇と間人皇女のお二人を葬る予定の石だったと推測されています

斉明天皇は飛鳥石が大好きで石の女王と言われているほどです

完成後は次に訪れる牽牛子塚古墳に運んでいく予定だったのではないかと言うことです

そう考えると辻褄があいますね

歴史の一コマがこれだけを見て想像できるのはとても面白いです

岩屋山(いわややま)古墳

近鉄電車飛鳥駅を降りてすぐの脇道を通って駅の反対側に行きます

踏切を渡ってすぐに標識がありました

駅のすぐそばにこんな古墳があるんだと言うのが正直な感想です

岩屋山古墳は7世紀半ばくらいの古墳と推定されています

2段の古墳で1段目は四角形です

上段の形状は大きく変わっているので不明となっています

ただ八角形になっているという研究者もいます

奥行の深い石室で切り石積みが特徴で花崗岩の平面を加工して積み上げています

この方式は岩屋山式と呼び古墳時代終末期の横穴式石室の代表的な形式の1つとされています

立派な石室から想像すると高貴な人のお墓は間違いないです

日本書紀では吉備姫を真弓丘(まゆみのおか)に葬ると書いていて、真弓は飛鳥駅の西側当たりの地区なので場所として合っているので、飛鳥駅の東側にある「吉備姫王墓」は間違いで岩屋山古墳が吉備姫のお墓ではないかと言う研究者もいるようです

岩屋山古墳は飛鳥駅に近く、しかも自由に石室に入れるので是非立ち寄って欲しい古墳です

岩屋山古墳頂上から見た景色

牽牛小塚(けんごしづか)古墳

岩屋山古墳から少し道を戻って牽牛子塚古墳に向かいます

標識もありますが駐車禁止の看板が道沿いに多くあるのでそれを目印に歩いても良いです

介護施設の横を過ぎると丘の上に白く光る古墳が見えてきます

今まで見たキトラ古墳や高松塚古墳の古墳とは全然違う景色にほとんどの方は驚くと思います

2022年3月に飛鳥時代の造営当時の姿に復元公開されたので、今でもとてもきれいに整備されていました

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の案内石碑が建っています

牽牛子塚古墳の斜め前に越塚御門古墳があります

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の模型です

位置関係と内部構造がよく分かります

古墳の見学の前に是非ご覧になってください

模型広場から見た牽牛子塚古墳

牽牛小塚古墳は八角形の古墳で八角墳と呼ばれています

八角形三段の墳墓です

対辺が約22メートルです

飛鳥時代の古墳で飛鳥にある八角形のお墓といえばほぼ間違いなく天皇陵と言えます

牽牛子塚古墳は近畿に五つしかない八角形の天皇陵の一つなのです

石室には二上山の凝灰岩を加工して使われています

飛鳥石よりグレードが低いのですが加工しやすいのです

そして中央の壁の左右に二つの石室がありました

このことより埋葬者は二人と言うことが分かります

八角墳と埋葬者が二人いるということから斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合奏した斉明天皇陵で間違いないだろうとされています

さらに日本書紀には天智6年(667年)に斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合わせ葬ったとの記載があり、またその日に斉明天皇の孫の大田皇女をお墓の前に葬ったとも記載されています

牽牛子塚古墳のすぐ前には越塚御門古墳があるので日本書紀の記載とピッタリなのです

実は宮内庁が管理している斉明天皇陵は奈良県高取町にあるのですが今では牽牛子塚古墳が斉明天皇陵と言うのが定説になりました

先に訪れた益田岩船の巨岩は飛鳥石でできています

斉明天皇としては本当は飛鳥石の石室を望まれていたのでしょうね

ただ加工がとても難しいので二上山の凝灰岩になったと想像すれば益田岩船と牽牛子塚古墳は両方見ておく必要は大いにあると思います

盛り土に凝灰岩の板石を張り付けて八角形の墳墓を完成させたので光輝いて見えます

さすが皇極・斉明として二度皇位に着いた女帝のお墓と言えると思います

谷の一番奥に鎮座していて古墳から見る景色も素晴らしいです

越塚御門(こしつかごもん)古墳

越塚御門古墳は牽牛子塚古墳を整備しているときに偶然発掘された古墳です

すぐ上に牽牛子塚古墳の姿が見えています

日本書紀には斉明天皇陵の前に大田皇女を葬ると書いているので大田皇女(おおたのひめみこ)であることは間違いないとされています

牽牛子塚古墳から見える越塚御門古墳

大田皇女は斉明天皇の孫で、天智天皇の娘です

石室は入り口から良く見えます

飛鳥石を使った2枚合わせの石室になっています

斉明天皇と娘と孫が眠る御陵の姿は飛鳥時代の人も同じ姿を見ていたのかもしれませんね

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳を見学したあとはマルコ山古墳に向かったのですが

その様子は別の記事に書きたいと思います

興味がある方は続けてご覧ください

こちらから マルコ山古墳

まとめ

今回は斉明天皇にまつわる古墳・遺跡を巡りました

近鉄電車飛鳥駅の西側に位置して普段はあまり観光客が行かない地域なのですが穴場スポットと言えると思います

特に牽牛子塚古墳は一度見ると忘れられないくらいのインパクトがある古墳です

きっと誰かに紹介したくなると思います

歩いても良いし自転車でも良いでしょう

ゆっくり飛鳥路を巡ってください

天皇陵としての八角墳を見たいシニアにおすすめです

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